墓場

何もなしえない

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かきなぐる。

 

2024年10月、転職をした。家電量販店から、IT業界へと。

人当たりだけは良かったが、マルチタスクもできず、人の話の理解できない私が、接客業などに従事するべきではなかった。

入社から一年と少しでADHDの診断を受け、ド鬱のまま勤務し続けた。人間として不完全な出来損ないが、客であれ会社であれ他人の要求にこたえられるはずもなかったのだ。

それでも6年半もの間働き続けたのは、なにも頑張ったからではない。むしろ、やめようやめようと思っているのにずっと先延ばしにしてきただけだ。

一度でも鬱になると、転職の履歴書ひとつ書けなくなるのだな、とも思った。自己PRなど何も書けないのだ。何もない、空虚な人生があるだけだった。

それでも、SNSで知り合った同好の士の紹介で、先述の通りやっと転職することができた。この機会を逃したら、きっと一生転職できない。そう思っての行動だった。

28歳。30歳を目前に、焦りもあった。

面接は目を覆うようなグズグズ具合で、ろくな応答もできなかった。それでも今の会社が私を拾ってくれたのは、間違いなくその紹介者のおかげだろう。感謝の念に堪えないが、それ以上にこの出来損ないを拾わせたことが申し訳なかった。

 

それでも、はじめは、やる気に満ちていた。

新たな職種であるITに関連する資格を取得し、自分に箔をつけようと。「何も持っていない家電屋の店員」から、「スキルのある技術者」になろうと。

そして、趣味の創作も目いっぱい頑張ろうと。今回の会社は副業も良しとしてくれているのだから、ともすればクリエイティブな副業だって探してみようと。

 

テンプレートな捕らぬ狸の皮算用だった。

資格試験は失敗続き。そもそも、今までの人生で勉強が成功した試しなどなかったのに、専門的知識の必要な国家資格など受かろうはずもなかったのだ。

給料は月4万下がり、手取りは14万ほど。賞与もない。わかっていたことだったが、それでも生活の苦しさは比ではなくなった。

リボ払いが嵩んでいき、キャッシング枠は使い切った。それなのに、浪費が抑えられていない。あまりにも愚かだ。自分でもわかっているのに、出費は減らない。

 

創作はできなくなった。ちょうど転職をした時期から書けなくなりはじめていた。

物語を紡ぐことだけが、自分の存在価値だと思っていた。いや、思っている。だからこそ、鬱で何も書けなかったあの頃が本当に辛かった。やっと抜け出せたと思ったのに、また逆戻りだ。

 

新卒の頃の、泣きわめくような鬱ではない。だが、間違いなく死ぬことがちらつく生活になった。なにせ、現在の自分はIT関連の人間としても、そして創作者としてもてんで価値のない人間であり、そして未来に関しては積みあがった支払い、もう借金だ。借金が行く手を阻んでいるのだ。

行く手などそもそもなかったかもしれないが。

 

こんな支離滅裂な文章を書こうとは、物書きとしての程度も知れるというものだ。そもそも、夢を見たのが間違いだったのだろう。

 

夢。小さい頃は、漫画家になるのが夢だった。

ずっと、隙あらば絵を描いて生きていた。他の何も褒められることはなかったが、絵だけは両親も褒めてくれた。小学校で賞を取ったこともあった。くじらぐも、国語の教科書の絵だ。

あの頃は、自分が絵で、漫画で生計を立てられると信じて疑わなかったし、両親も応援してくれていると思っていた。漫画家になったら、たくさん本を買ってくれと言ったら、「百冊買ってやる」と答えた父のことは、今でも覚えている。

 

愚かだった。

高校受験の時、美術系の学校に行きたい、と漠然と考えていたが、猛烈に反対された。

塾のテキストに描いた力作のイラストは破り捨てられた。ショックだった。まあ、当然と言えば当然のことなのだが。

この頃は漫画家というより、イラストレーターになりたいと思っていた。それを伝えたとき、「絶対に許さない」と言われた。

真っ白になった。だって、ずっと応援してくれていると思っていたから。

あるいは、この時に、縁が切れそうなくらい大げんかでもすれば、もしかしたならば何かが変わっていたかもしれない。でも、私にそんな度胸などなかったし、かといって隠れて本気で目指そうという根性もなかった。

 

高校卒業時、もう一度すがるような思いで専門学校に行きたいと伝えた。イラストを本気で学びたいと。

一蹴された。そして、なりたいものを目指せもしない受験に、やる気など出るはずもなかった。底辺まではいかない、くらいの大学の文学部に入った。

ありふれた、大して価値のない、特筆するようなこともない、そして出来の悪い社会人が生まれるには、十分な経歴だった。

 

親としては当然の選択だったと、私だって思う。悪いのは才能のなかった私であり、真剣に説き伏せなかった私であり、意志を貫けなかった私なのだ。両親は、両親として正しい選択をしたことだろう。私がまともでちゃんとした人間なら、きっとことは済んでいたに違いない。

でも、残念ながら私は生来の出来損ないで、人間もどきだ。人間のふりをして生きているだけの、不良品なのだ。だから、まっとうな人間が歩ける道を、私は歩けないのだ。

両親には本当に申し訳なく思う。私がまともなら、息子の教育は成功したことだろうに。今頃は結婚でもして、孫の顔を見ていたかもしれないのに。

現実は、ごみまみれの部屋で錯乱したり、現実逃避したり、負債を増やすだけの存在が生まれただけだった。

ああ、なんと可哀そうな両親だろうか。親族のほとんどが真人間で、いとこたちもみな成功しているというのに、よりによって我が家だけがこんな貧乏くじを引いたのだ。くじそのものが言うのもなんだが、あまりにもあまりではないか。

生まれたのが私でなければ、どれほど幸福だったことだろうか。それを思うと、いっそう、自分の存在が無価値どころか、有害にさえ思えてくるのだ。

 

笑い話だが、妹は美術系の学校へ進み、近代美術史などをしっかり学べたらしい。

羨ましく、妬ましく、恨めしかった。

妹の卒業制作が博物館に飾られるというので、観に行ってくれと言われた。

惨めだった。自分が進みたかった道を歩く妹の、進んだ結果を、金を払い、時間を使って観に行ったことが。

引き裂いてやろうかな、と思ったりもした。でも、それをする勇気も、そしてそれをするだけの価値も私にはなかった。

あの時、博物館についたよ、見てきたよ、と送ったメッセージに、そんな思いがこもっていただろうとは、きっと家族のだれもがつゆ知らぬことであったろう。

ずっと、そうだった。幼い頃、私がシュノーケルが欲しいとねだった時は買ってくれなかったのに、妹がねだったらすぐに買っていたし、ペンタブレットを欲しがったときも、妹が欲しがるまでは買ってくれなかった。

ケータイもそうだ。高校まで買ってもらえず、おかげで中学の卒業旅行ではひとりだけ連絡手段がなく、みんなとはぐれて半分近い時間をひとりぼっちで過ごした。

でも、ぜんぶ慧眼だったのかもしれない。私なんかに与えるだけ無駄なんだから。

結局、何者にもなれないどころか、人間にすらなれない私に、妹にさえ何一つ勝るもののないヒトモドキに、何をする必要だってなかったのだから。

 

 

すごい。物書きなんて二度と名乗らない方がいいくらいのぐっちゃぐちゃな文章だ。

まさしく人のなりそこないが記すにふさわしいといったところじゃないか。

 

早く死なないものか。生きているだけで迷惑なんだから。

自分で死ぬ勇気すらないから、こうしてうずくまることしかできない。